沿革

History

メガネの田中の歩み

創業者の田中末吉がメガネの田中の前身である「田中眼玉堂」を開業したのは今から100年以上前のこと。当時、広島では雑貨屋に老眼鏡がある程度で、まだ本格的なメガネ店がありませんでした。大阪から「玉摺機」を取り寄せ、自店でレンズ加工ができる田中眼玉堂は、広島で唯一の専門店として眼科の処方箋の指定店にもなりました。 メガネは一部の人の贅沢品ではなく、必要とするすべての人々にお届けしたい。そんな思いから、技術とサービスを磨き続け、広く地域の方々の視生活を支えてきた「半医半商」の精神は、揺るぎない田中マインドとして受け継がれています。

大正

  • 大正2年(1913年)

    3月25日、創業者 田中末吉が、広島堀川町に「田中眼玉堂」として開業
    田中末吉の写真

昭和

  • 昭和7年(1932年)

    広島流川店出店
  • 昭和16年(1941年)

    二代目 田中義男に社長交代、「田中眼鏡店」に改称
  • 昭和20年(1945年)

    原爆にて崩壊
  • 昭和21年(1946年)

    広島流川で再開業
    広島流川で再開業した際の記念写真
  • 昭和22年(1947年)

    広島本通へ移転
  • 昭和26年(1951年)

    当時最新のアメリカ製の検眼機(ホロプター)を導入
    アメリカ製の検眼機(ホロプター)の写真
  • 昭和29年(1954年)

    有限会社田中眼鏡店に改組
  • 昭和34年(1959年)

    初の支店となる広島駅前店 出店
  • 昭和41年(1966年)

    メガネの田中チェーン株式会社設立
  • 昭和49年(1974年)

    三代目 田中登志子に社長交代
  • 昭和54年(1979年)

    タナカ眼鏡学校を開校

平成

  • 平成8年(1996年)

    100店舗達成
  • 平成27年(2015年)

    分業体制に移行し、(株)田中眼鏡店を「メガネの田中ホールディングス株式会社」に社名変更
  • 平成28年(2016年)

    四代目 デイミアン ホールが、メガネの田中チェーン(株)、メガネの田中ホールディングス(株)の代表取締役社長に就任
  • 平成29年(2017年)

    日本レンズ工業株式会社 株式の100%を取得
  • 平成30年(2018年)

    視聴覚システム株式会社 株式の100%を取得

令和

  • 平成31年/
    令和元年(2019年)

    聞こえの田中株式会社設立
  • 同上

    定額制メガネコーデ&かけかえサービス「ニナル(NINAL)」を全店で開始
  • 同上

    補聴器のサブスクリプションサービス「聞こえの定額ケア」を補聴器取扱全店で開始
  • 同上

    FLO Optics Pte. Ltd.(シンガポール)と資本業務提携
  • 令和3年(2021年)

    株式会社佐々木セルロイド工業所と資本提携
  • 同上

    メガネの田中ブランド初の海外店舗「ウィーロックプレイス店」(シンガポール)開店
  • 令和4年(2022年)

    視聴覚システム株式会社を聞こえの田中株式会社に統合